体験談
佐野敏夫の場合(舌根がん)
1:発症
喉の奥に違和感を覚えたのが、今から9年前の2007年のこと。始めは、風邪で扁桃腺が腫れたのかと思っていました。風邪薬を処方され、飲んでみたものの治りません。当時の私は、毎晩飲み歩いて帰宅はいつも終電。体重は100Kgを超えていました。そんな体型のため、腰痛持ちで痛み止めの坐薬を処方されており、それで痛みをごまかしていたのです。 一向に痛みが治まらないので、耳鼻咽喉科で診察を受けたところ、医師が驚いた様子で、「これは大きな病院で精密検査を受けた方がいい」といい、診察を受けた時には、大豆位の大きさにまでがんが進行していました。
2:告知
医師から告げられた病名は「舌根がん」。聞いたこともない病名でした。まず「放射線治療」で経過を診ようということになり、6月に入院、8月までに20回放射線治療を受けました。放射線治療を受けると、口の中が火傷のようになり、口中に口内炎ができます。放射線治療の結果、表面に現れていたがんはすっかりなくなり、このまま手術をしなくても大丈夫かもしないと医師に言われ、喜んでいたのもつかの間、CTで精密検査をしたところ、根が深いことから手術をすることになったのです。
3:手術(1回目)
私の場合は、がんに侵された部分を取り除くのに、まず、首をコの字に切って、患部を取り除いた後、切除した舌に、左腕の動脈と皮膚を縫い合わせるというもので、20時間におよぶ大手術でした。 入院期間は4か月におよび、この間、体重は30Kg落ちました。入院した当初は病院の食事だけでは足りなくて、売店で買い食いをしていたり、放射線治療で口の中が痛むので、毎日のように氷やアイスクリームを食べていましたが、日が経つに連れ、間食することもなくなりました。看護師さんと他愛ないおしゃべりをすることと、体重が落ちていくのが唯一の楽しみでした。
4:再発
1回目の手術から1年も経たない2008年9月に、切除した舌と元々ある自分の舌との境にがんが見つかりました。「これは取り残しなのか、再発なのか?」私は医師に問いましたが、明確な答えは返ってきません。 既に放射線治療をしているため、2回目は外科手術を受ける以外に選択肢はありませんでした。 前回は左腕の動脈と皮膚を舌代わりにしましたが、今回は腹部を皮膚を移植することになりました。 11月に再手術をし、今回は舌の2/3を切除しました。手術に要した時間は31時間に及びましたが、手術は無事終了し、年末には退院、年明けから毎日出社するまでに回復しました。
5:術後
術後私を苦しめたのが、「食べること」と「話すこと」でした。 唾液腺の3/4以上を切除してしまっているため、唾液が出ず、固形物が一切食べられなくなってしまったのです。1回目の手術では、刺身やうどんなどは食べられたのですが、2回目の手術後は、外食が全くできなくなってしまいました。現在食事は、全て流動食です。 口内乾燥もひどく、夜も1時間30分おきに目が覚めて、安眠ができず、常に口の中がカラカラに乾くのです。 病院で処方された人口唾液やインターネットで知った口腔ジェルなどを使っていますが、どれも一時的なもので、辛さを軽減するまでには至らないのが現状です。 話すことも非常にもどかしく、特に電話で何度も聞き返されるたび、自尊心が傷つけられました。術後はメモで筆談しながら話をするのが常となりました。元々人と話をするのが好きな私は、「リハビリ」と称して、毎日人に会い、話をするよう心がけました。一つには滑舌のリハビリですが、人と接することでがんにとらわれず、これまでと同じ生活を取り戻したいという気持ちが大きかったように思います。 あるとき、歯科医師から口腔外科を紹介され、そこで初めて口腔リハビリの存在を知り、飲み込みや滑舌を補助するマウスピースを作りました。マウスピースのおかげで、食べ物を喉の奥に送りやすくなったり、話すとき、 空気が漏れにくくなりました。このような情報を入手できるか否かで、術後のQOLが大きく変わってくることを身をもって感じたのです。口腔リハビリで西脇先生と出会ったことこそ、「頭頸部がん患者友の会」発足のルーツなのです。